瓜溪石
瓜溪石は、今から約六千万年前の新生代初め、 海底に蓄積していた泥岩層である「瓜谷層」とよばれる地域から産する石です。
地中より掘り出された時は、石の表面に黒色の泥岩が付着していたり、 風化のために赤褐色になった土で覆われていますが、 愛好家の手にかかるとたちまち見事な盆石となります。
深山幽谷を想う山水景と変化にとむ皺に加えて、 なめらかな石の肌が特筆されます。
紀伊続風土記には「盆石」として紹介されるほど古来より産出したものと思われますが、 発掘の歴史は、割合新しく、盆石としての価値を認められたのは 天保年間(1830年代)で、樵夫の手によって発見されました。
江戸時代には、田辺藩が石番を置き、みだりに採掘することを禁じました。
この禁が解かれたのは、西南戦争(明治10年)の頃だと言われています。
したがって、名石といわれたものは明治以降に掘り出されたものが多く、 その中でも名品といわれるものは、地元はもちろん、 県内外の愛好家の間で愛蔵・秘蔵とされています。
南部の海流と気候
南部町(旧南部川村)の気候は、紀伊水道に流れ込む黒潮の影響を受け、一年を通じて気温の変化が少ない温暖な気候に恵まれています。
時に紀伊半島南部では、台風を含めた降雨量が多く、年間の晴天日数が200日を越え日照時間も長いことから、 植物の成育に適した気象条件となっています。
このことは、温暖な気候を好む梅の特性に大変適合しています。
南部の土壌
良質で収穫量も多い梅の栽培には、中性質で、水はけの良い土壌が適しているとされています。
また、梅は成長時にカルシウムを多く吸収します。
南部町(旧南部川村)に多くみられる『瓜渓石』は主に炭酸カルシウムを含んだ中性質の土壌が、良質な梅の栽培に適しているというわけです。