2つの神社への梅の奉納

福梅プレス

毎年欠かさず、神前へ

福梅本舗には、先代の頃から、ずっと続けている習わしがあります。

それは、二つの神社へ、毎年欠かさず梅を奉納すること

ひとつは、地元・紀州が誇る熊野本宮大社。そしてもうひとつは、東京の明治神宮です。

いつから始まったのか、正直なところ、はっきりとは分かりません。
先代の代から続くご縁で、気がつけば、もう何十年も続けてきました。

豊作の年も、凶作の年も、変わらず。梅がたくさん穫れて笑顔になれた年も、今年のように厳しく頭を抱えた年も、私たちは変わらずに、神前へ梅を納めてきました。

商売として何かの見返りを求めているわけではありません。ただ、この土地で梅とともに生きてきた者として、自然と続けてきた——そういう類のものなのです。

紀州の総本宮、熊野本宮大社へ

ひとつめは、熊野本宮大社。

紀州の地に根を張り、古くから多くの人々の信仰を集めてきた、熊野三山の中心です。

全国から参拝者が訪れるこの大社は、私たちにとっては、まさに「地元の神様」。

この土地に生かされ、この土地の恵みで梅を育てさせていただいている。その感謝を捧げる先として、これ以上ふさわしい場所はありません。

熊野本宮大社へは、みずから出向いて納めることもあります。
あの荘厳な社殿を前にすると、背筋が自然と伸びる。梅づくりを続けてこられたことへの感謝と、これからも続けていくという静かな決意が、胸に満ちてきます。

東京の杜へ、明治神宮へ

もうひとつが、東京・明治神宮です。

都心にありながら、一歩足を踏み入れれば深い杜が広がる、日本を代表する神宮のひとつ。
ここへの奉納も、先代の頃からのご縁で、長く続けてきました。

紀州の地で育てた梅を、遠く東京の神前へ。

地元への感謝を熊野本宮大社へ捧げるとすれば、明治神宮への奉納は、この紀州の梅を、全国の方々のもとへ届けられることへの感謝でもあります。
私たちの梅が、たくさんの人の暮らしの中にある。そのありがたさを、あらためて噛みしめる機会になっています。

豊作でも、凶作でも、変わらずに

奉納を続けていて、しみじみ思うことがあります。

それは、豊作の年も凶作の年も、変わらず続けることにこそ、意味があるということ。

たくさん穫れた年に感謝するのは、たやすいことです。けれど、今年のように三年続けて凶作という厳しい年にこそ、変わらず神前に手を合わせる。
うまくいかない年も、自然の恵みと向き合い、できることを尽くしていく。その姿勢こそが、梅づくりという仕事の本質なのかもしれません。

一年一年の収穫に、私たちは一喜一憂します。それでも、代を継いでこの習わしを守り続けてこられたことを、静かに誇りに思っています。

千年先も、梅をかじってもらうために

福梅本舗には、大切にしている一つの言葉があります。

「1000年先も、梅をかじろう。」

梅づくりは、一年で完結する仕事ではありません。先人たちが千年をかけて受け継いできた食文化を、私たちが受け取り、また次の世代へと手渡していく。そんな、はるかに長い時間の中にある営みです。

神前へ梅を奉納するという行為は、私たちにとって、この「千年」という時間軸を思い出す時間でもあります。目先の一年の豊凶に一喜一憂しながらも、もっと大きな流れの中で、梅と向き合っていく。神様に手を合わせるとき、その原点に、いつも立ち返ることができるのです。

今年もまた、心を込めて梅を納めました。千年先も、変わらず梅をかじっていただけるように。その願いを胸に、私たちはこれからも、一粒の梅と向き合い続けていきます。

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