旨さの居場所、梅の眠る樽へ
梅干しになる最後の二つの工程。
干しと樽詰め。仕上げの主役はお天道様。
派手じゃないけど、口に入れた瞬間に「これこれ」と分かる旨さは、静かに育っていく。

朝いちばん、実の表面のうるおいと皮の張りを指先でたしかめ、その日の干し時間を見立てるのが「はじまりの一手」。
梅は一粒ずつ間を空け、しわを寄せんように向きも置き方も整えて並べる。
正午が近づいたら、そっとひっくり返す。

手荒にしたら口当たりが台なしになるから、角度も力加減も、まるで呼吸するみたいに。
三日も経てば、皮は薄く透け、香りがふわっと立ち、指先に弾力が返ってくる。
急がず慌てず、お天道様と相談しながら仕上げる。
それが、いちばん旨くなる干しの作法。
旨さの仕上げは樽の中で
干し上がった梅干しは、次の居場所である樽へ向かう。
味の「最後の一段」が決まる。

樽の中では、最初は尖っていた塩味が角をしまい、梅干したちがそれぞれの内側からエキスを少しずつ分け合う。
隣り合う実どうしが呼吸を合わせるうちに、塩は丸く、酸はやさしくまとまっていく。
急がない。
味は“個”から“合”へ。ひと粒ずつの個性が、樽の中で調和に変わっていく。
出来上がった梅干しを口に入れると、まず感じるのは角のない塩。
そのすぐあとから、じんわりと酸がほどけ、鼻の奥にやさしい香りが抜ける。
派手さはないけれど、毎日のごはんを少しだけ上等にしてくれる味。
そこに至るまでの四百日あまり、太陽と風と雨、そして塩のセッション。
塩が実を落ち着かせるから、私たちは時間を味方にできる。
そのあいだに塩と酸が実の中を行き交い、角が取れて、旨さが静かに整っていく。

手をかけるところはきっちりかけて、待つところはきっちり待つ。
昔ながらの工程は、今も変わらず、台所の幸せへと続いている。
次の一粒は、きっと今日よりも愛おしく感じる。

