18時から24時。
空が、ほんの少しずつ夜の顔に変わっていく。
まだ完全には沈まない陽の光が、山の端を赤く染めていた。
遠くから、バンドのサウンドチェックの音が聴こえてくる。
ドラムの低い音が山に反響し、ベースのうねりが腹の底に響いた。
スタッフが短い言葉をトランシーバーで交わし、
出店者たちの慌ただしい足音が、湿った土の上でリズムを刻む。
まるで、街全体が巨大な楽器になったようだった。
フジロックの夜が、ゆっくりと動き出そうとしていた。
誰かが、「ロックな盆踊りやな」と呟いた。
たしかに、その光景は不思議なものだった。
やぐらの周りで、地元の人々が輪になって踊っている。
和太鼓の音にエレキギターが重なり、
酒に酔った男たちの笑い声が空へと吸い込まれていく。
「こんな祭り、見たことないな」と思った。
みんな、どこか浮かれていた。
ビール片手に踊る人、知らない誰かと肩を組む人。
普段は胸の奥にしまいこんでいる“自由”みたいなものが、
この夜ばかりは、解き放たれている気がした。
そんな中、常連の出店者たちは、
静かに、でも迷いなく準備を進めていた。
ガスの火をつけ、鉄板の温度を確かめ、
食材を手際よくさばいていく。
無駄な動きが、一つもない。
場数を踏んだ者の余裕が、その背中に滲んでいた。
一方、僕らのブースは、ガタガタだった。
「え、これどこ繋ぐん?」
「看板、これ立つんか?」
「これ、動線おかしないか?」
誰もが不安を押し殺しながら、手を動かしていた。
電源が見つからず、冷蔵庫の位置を何度も変えた。
看板は風に煽られ、シンクのホースは外れ、
そのたびに誰かがため息をついた。
「いや、こうやって…」「ちゃうって、こうやろ」
小さな言い争いを重ねながら、
それでも手だけは止めなかった。
気がつけば、周りの店はすでに客をさばき始めていた。
ぼんやり見上げた空は、すっかり夜の色に染まっていた。
「くそ…遅れた。」
焦りが、胸を締めつけた。
それでも、なんとか形にはなった。
――前夜祭オープン。
梅鯛茶漬け、梅酢唐揚げ、梅紫蘇ポテト、梅ジュース、梅酒。
目の前に並んだ料理を見つめながら、
ようやく、ここに来た実感がじわじわと湧いてきた。
「よし、やるか。」
初めての営業だった。
どこか怖くて、でも、それ以上にワクワクした。
客足はそこまで多くなかった。
だからこそ、一人ひとりと、ちゃんと向き合えた。
最初のお客さんは、笑ってこう言った。
「梅干し屋さん?珍しいね。」
その瞬間、僕らも思わず笑った。
たった一言で、緊張が少しだけほぐれた気がした。
少しずつ、ほんの少しずつ、
僕らはフジロックの空気に馴染んでいった。
でも、このときはまだ知らなかった。
翌日から、地獄のような忙しさが待っているなんて。
