フジロック2024 出店記②「前夜祭」

店主のひとりごと

18時から24時。
空が、ほんの少しずつ夜の顔に変わっていく。
まだ完全には沈まない陽の光が、山の端を赤く染めていた。

遠くから、バンドのサウンドチェックの音が聴こえてくる。
ドラムの低い音が山に反響し、ベースのうねりが腹の底に響いた。
スタッフが短い言葉をトランシーバーで交わし、
出店者たちの慌ただしい足音が、湿った土の上でリズムを刻む。

まるで、街全体が巨大な楽器になったようだった。
フジロックの夜が、ゆっくりと動き出そうとしていた。

誰かが、「ロックな盆踊りやな」と呟いた。
たしかに、その光景は不思議なものだった。

やぐらの周りで、地元の人々が輪になって踊っている。
和太鼓の音にエレキギターが重なり、
酒に酔った男たちの笑い声が空へと吸い込まれていく。

「こんな祭り、見たことないな」と思った。
みんな、どこか浮かれていた。
ビール片手に踊る人、知らない誰かと肩を組む人。
普段は胸の奥にしまいこんでいる“自由”みたいなものが、
この夜ばかりは、解き放たれている気がした。

そんな中、常連の出店者たちは、
静かに、でも迷いなく準備を進めていた。

ガスの火をつけ、鉄板の温度を確かめ、
食材を手際よくさばいていく。
無駄な動きが、一つもない。
場数を踏んだ者の余裕が、その背中に滲んでいた。

一方、僕らのブースは、ガタガタだった。

「え、これどこ繋ぐん?」
「看板、これ立つんか?」
「これ、動線おかしないか?」

誰もが不安を押し殺しながら、手を動かしていた。
電源が見つからず、冷蔵庫の位置を何度も変えた。
看板は風に煽られ、シンクのホースは外れ、
そのたびに誰かがため息をついた。

「いや、こうやって…」「ちゃうって、こうやろ」

小さな言い争いを重ねながら、
それでも手だけは止めなかった。

気がつけば、周りの店はすでに客をさばき始めていた。
ぼんやり見上げた空は、すっかり夜の色に染まっていた。

「くそ…遅れた。」

焦りが、胸を締めつけた。
それでも、なんとか形にはなった。

――前夜祭オープン。

梅鯛茶漬け、梅酢唐揚げ、梅紫蘇ポテト、梅ジュース、梅酒。
目の前に並んだ料理を見つめながら、
ようやく、ここに来た実感がじわじわと湧いてきた。

「よし、やるか。」

初めての営業だった。
どこか怖くて、でも、それ以上にワクワクした。

客足はそこまで多くなかった。
だからこそ、一人ひとりと、ちゃんと向き合えた。

最初のお客さんは、笑ってこう言った。

「梅干し屋さん?珍しいね。」

その瞬間、僕らも思わず笑った。
たった一言で、緊張が少しだけほぐれた気がした。

少しずつ、ほんの少しずつ、
僕らはフジロックの空気に馴染んでいった。

でも、このときはまだ知らなかった。
翌日から、地獄のような忙しさが待っているなんて。

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