フジロック2024 出店記①「出店の経緯」

店主のひとりごと

はじまり

「フジロックに出店したい。」

その言葉は、心の奥底から湧き上がったわけでもなく、かといって誰かに促されたわけでもない。
ふとした瞬間に、ぽつりと口からこぼれ落ちた。

日本一のロックフェス、フジロック。
音楽好きなら一度は憧れる場所だろう。
けれど、僕は特別音楽に詳しいわけでもなかったし、これまでフェスなんてものに行ったこともなかった。

ただ、親戚が音楽業界にいて、フジロックの話を聞いたことがあった。

「フジロックはな、日本で一番ロックな場所やねん。」

その言葉が、どういうわけか胸に残った。
意味はよくわからなかったけれど、ずっと、そこだけが妙に鮮明だった。

ロックとは何なのか。
梅干しとロック。どこにも接点はない。けれど、僕はこれまで何度も言われてきた。

「お前の生き方、ロックやな。」

最初は冗談混じりに「そやろ?」なんて笑って返していたけれど、何度も言われるうちに、だんだんと考えるようになった。

「ロックって、なんや?」

自分の信じる道を、ただ歩いてきただけだ。
それでも、フジロックの話は胸の奥底で、燻り続けた。

「人生で一度は行くべきやで。」

誰かのその言葉が、決定打になったのかもしれない。
僕は単純な人間だ。

感性が磨かれるなら、飛び込んでみたいと思った。

そして、知った。フジロックにはフード出店がある、と。

「出店しながらフェスに参加できる。最高やん。」

じっとしているのが苦手な僕には、理想の形だった。

試食審査と衝撃の事実

さっそく、フジロックの公式サイトを開いた。
書類審査、試食審査。どうやら、簡単には出店できないらしい。
むしろ、出店するだけでも名誉なことらしい。

それでも僕は、決めた。
2024年の目標発表で宣言した。

「来年、フジロックに出店する。」

案の定、社内はざわついた。

「また、訳のわからんこと言い出したで。」

無理もない。僕は梅干しを作ってきた人間だ。
飲食店をやったこともない。
けれど、やると決めた。

3月下旬、東京での試食審査。
持ち込んだのは、自信作の梅鯛茶漬け。

とはいえ、正直なところ、通る自信なんてなかった。

5月下旬。
届いたのは、合格通知だった。

「……マジか。」

メールを読んだその瞬間、呆然とした。
でも、これはゴールじゃない。むしろ、ここからが始まりだった。

ある日、
スタッフの平田が情報を持ってきた。

「フジロックのフード出店って、日本一過酷らしいですよ。」

冗談かと思ったけど、違った。
ネット上には、あちこちで同じことが書かれていた。

「みんな、そう言ってます。」

不安になった。
でも、それ以上に心のどこかが熱くなった。

飲食未経験の梅干し屋が、日本一過酷なフードイベントに挑む。
熱くて面白いシチュエーション。

こんな体験は、誰もができるものじゃない。

怖さはあるが、それ以上にワクワクが勝ってきた。

準備と試練

フジロックのメインフードエリア「オアシス」。
営業時間は、AM9時~AM5時。20時間×3日と前夜祭。笑
推奨されるスタッフ数、15人。多いのか少ないのか解らない。

うちのメインメニューは、
梅料理研究科でもある妻が考案した「梅鯛茶漬け」からはじまり
「梅酢唐揚げ」「梅紫蘇ポテト」「梅ジュース」「梅酒」

仕込みは、約5000食分。

しかも、7月は夏のギフトシーズン、観光シーズン。
加えて本店リニューアルすることになっており、カフェブースの新設準備で、会社は一年で一番忙しい時期だった。

そんな中、小さな梅干し屋ということもあり、社内から選抜できるのは頑張って5人。

僕、妻、平田、
東京から新卒でやってきたばかりの梅が大好きな「さらん」。
そして、ロックが好きでたまらない「浦」。

そこに助っ人をかき集め、なんとか合わせて15人。
ただ、計算ミスが発覚し、大赤字になる!となりギリギリになり

無謀にも「10人でやる。」と決めた。

主催者側の推奨人数は15人。そして、飲食未経験で初出店。

これは、福梅本舗に取っての社内文化でもある、挑戦そのものになっていった。
これでこの会社は新しい経験と知識、そしてお客様に会える。

フジロックの山の向こうに、まだ見ぬ景色が広がっている気がした。

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